メロウの唄
自己を殺すための方法を考えてみる。とりあえず、道具はないので用いない。己の体で己を殺す。となると、首を絞める、舌を噛む・・・その程度しか想像できない。
では実行。己の首に両手をかけ、力一杯握り締めてみる。苦しい、けれど無意識に手加減してしまって視界が霞むぐらいだ。舌を噛んでみる。痛い・・・けど本当に噛み切れるのか。
結局、私に自殺する勇気なんて存在していないのだ。仲間の命のために、掟を破らないために、自分は生きていてはいけないのに。それでも自殺することができない。
小さな机の上に置かれたランプが薄赤く牢獄を照らす。鈍く光る強靭な鉄格子。常にひんやりとした石が敷き詰められた壁、床、天井。灰色一色の味気ない此処こそが私の最後の世界だった。
こうなってしまったのは、自分の暴走した感情ゆえ。
結界区域を越えてしまうことを分かっていたのに、好奇心を抑えきれなかった。遥か上に浮かぶ何かをこの手にしたかった。新しい世界が、開ける気がした。
その結果が、こうして人間に捕まってしまうというなんとも情けないものだった。自業自得、それで済む問題ではない。人間に捕まる、それはつまり我々の世界を暴かれるのと同じなのである。
だから、死ななければならないはずだった。仲間の命を守るためにも、人間にむざむざ捕まりいいようにされる訳にはいかないのだ。けれど、それができない。
「 」
ぼーっと今後について思考を巡らせていると、人間がやってきて南京錠を解き、鉄格子を開けた。言葉は分からないけれど、なんとなく想像はつく。
腕を掴まれ、引かれるままに歩く。この人間は初めて会った人間と違い、無理に自分をどうにかしようとはしない。柔らかな綿に包まれたように腕を掴む。二足歩行に馴れないのが分かっているのか、覚束ない足取りでも追いつくほど歩調はゆっくりだ。
そうして連れてこられるのは凝縮された私の世界。部屋に私を入れると人間は部屋の外で鍵を閉める。内側からは扉は開かない。そして閉鎖された自分だけの夢の中へと私は飛び込む。
跳ね上がる水飛沫。髪に絡みつき、優しくなでる温かい水。
そう、これは“夢”。一日に一回、私が視る故郷の夢だった。狭くて自由に泳げはしないけれど。
水中に潜る。全身が水と触れ合い喜んでいるのが分かる。懐かしい音が耳に触れる。
目を瞑ると、そこはもう小さな水桶ではなく、瞼の奥に広がるのは無限の海。私の世界。
自由に泳ぎまわって、仲間と触れ合い、歌を唄いながら外の世界に思いを馳せたあの頃に戻れるのだ。
ただの夢であることは忘れて。
幸せを歌え。
嘆きを唄え。
謳え。
そして扉が叩かれる。私の夢は、世界は今日もまた崩壊した。
水底には近寄れない領域があることを知っているだろうか。それは我々人間が入り込むことのできない特別な空間であり、その存在は人間という生物が誕生してから何千年と経った今日に発見された幻とも呼べる別世界だ。
もちろん、全ての人間がそんな別世界の存在を肯定したわけではない。いくら言葉で説き伏せようとも、そんなファンタジックな話は証拠と呼べる証拠を提示しない限り認められることはないだろう。なんせ、俺もそのうちの一人だった。
が、大学院で教授の研究を手伝ううちにとある博物館に半年配属されることになった。その博物館で任された俺の仕事は。
――――――人魚の世話係だった。
人魚といえば何を思い浮かべるだろうか。大体の人間は童話の人魚姫を想像し、半人半魚の幻獣と答えるだろう。しかし世界の定義で云わせれば、人魚とは“妖精”の一種であり、呼び名をメロウというらしい。
もちろんその存在は認められてはいなかったが、メロウは事実、俺の前に存在している。
なぜメロウが博物館の分館倉庫の物置などに入れられているのか。それはバイトも同然である俺には分からない。だが、そんな俺でも彼女が好きでここに捕まっている訳ではないという事ぐらいは分かった。
妖精の類とはいえ、メロウの少女は人間と少しも違わぬ風貌をしていた。一般像である人魚と違い尾ひれなどはない。しっかりと二本足を持っているがどうやら覚束ないようだった。ただしメロウの纏う雰囲気は人間とはかけ離れていた。
まるで人間の少女を監禁しているみたいで、俺はこの仕事を今すぐにでも止めたくなった。動物は檻に入れるのが当たり前であるのに、人型をしているだけで、犯罪でも起こしている気分になってしまうのだ。けれど俺はこの仕事を辞めるわけにはいかなかった。そこで俺が考えたのは。
「出てきてくれ」
管理者がいない時間を見計らって、牢屋の鍵を開け、メロウの少女を引っ張り出す。か細い腕をできる限り優しく掴み、風呂場まで誘導する。そして風呂場に押し込むと、扉に鍵を閉め、門番のように扉の前に立ち周囲に警戒を払いながら風呂場から聞こえる音楽に耳を傾けた。
なんと言っているか分からない歌声。それは歌というより音だった。心地よくも悲しい音楽と共に尾ひれが水を叩く音がする。水に触れて、本来の姿に戻ったメロウは一時の至福を噛締めるように夢の世界へと堕ちていったのだ。
俺のただひとつできること。それは数分の幸せを彼女に与えることだ。
その行為が、彼女の命を引き伸ばし、更なる苦痛、苦悩を与えているのだとしても。
これは俺のエゴ。せめてもの償い。
俺は俺の心が心地よければ、それでいい。
俺は耳を塞ぎ、メロウの唄を体中で拒否しながら、何度も何度もそう自分に言い聞かせた。
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