刺激的炭酸デイズ

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とあるサラリーマンの休日4



 9月26日  午後5時  


 川が、オレンジ色に輝く太陽に侵されていた。もうすぐ日の入りだ。東側はすでにもう薄暗くなっている。日が落ちきったら切り上げ時である。
 絵は、ほぼ完成していた。だが、なんとなく物足りない気分になる絵に仕上がってしまった。理由はいまいち分からない。見たままを描いたのに、なにかワンピース足りていないような、違和感が拭えなかった。
 だが、いつまでも悩んでいたって浮かばないものは浮かばない。もう日が暮れるのも時間のうちだ。帰宅して、明日からの5日間に備えるべきだろう。
 筆やパレットなど、細かいものから画材鞄へと順々に詰めていく。絵の具は出すのは簡単だが、片付けるのは少々面倒だ。パレットや筆の後始末は、家でやることにしている。近くに川があるからといって、色水を流すのはまずい。
 片付けが終わったころには、日は殆ど隠れかかっていた。見上げてみれば、空が紺とオレンジのグラデーションを描いている。その異様ともいえる色につい目を奪われた。いつもは青か紺の一色に染まっているが、この一瞬だけは全く違う姿になる。この年になって、初めてこの一瞬への感動が生まれた。部屋に閉じこもりっぱなしだった頃は見たこともなかった景色だったから。
「おーい!!おじさあーん!!!」
 ぼーっと空を見上げていると、後ろから大きな声が聞こえた。聞き覚えのある声だ。振り返ってみれば、そこには日中に出会ったアイスの少年が。さらに、
「ちわーっす!!」
「こんばんは」
 今はユニフォームではなく私服の野球少年。さらに同じく制服から私服に着替えている礼儀正しい青年の三人が、こちらに向かって歩いてきていた。雰囲気から、彼らは互いに知人だということが伺える。すごい偶然だ。
「君たちは、知り合いだったんだね。驚いたよ」
 驚きを隠せずにそう言うと、三人は皆うんうんと頷いた。
「俺が、朝に河原で絵描きさん見たんだーって言ったら、海斗も絵描きさんに会ったって言っててびっくりしたんスよ」
「しかも、廉太に至っては、アイス奢ってもらったみたいで・・・・こいつが迷惑かけてすみません」
 礼儀正しい青年は、ちょっと背の低いアイスの少年の後頭部を掴むと、ぐいっと押して無理やり頭を下げさせた。
「いやいや、いいよ。気にしないで」
 お辞儀されるほどのお金は出していないし、こう、野良犬に餌をあげた感覚だったのだ。謝られることはない。慌てて頭を上げるように言うと、少年は押されていた頭を力ずくで押し戻して、
「アイス美味しかった!ありがと、絵描きさん」
 先刻、地面に手を付いて、絶望していたときとは見違えるような笑顔を乗せて、そう言った。
 笑顔は、見た目以上に幼い。けれど話を聴くところによると、彼らは同級生らしい。つまり、自分が中学生では、と思ったこの少年は、高校生だったというのだ。見た目で、年齢は分からないものだ。あらためて、そう思った。


 どうやら、彼らはいちいちお礼を言いにだけ来てくれたようだった。このまま帰すのも大人としてどうかと思ったため、彼らを河原に座らせて、自分はちょっと先にある自動販売機で飲み物を奢ってやることにした。
 だが、自動販売機まできて、どの飲み物がいいか聞くのを忘れていたことに気がついた。また戻って聞きなおすのも面倒だ。適当に買うしかない。自分はよく飲む種類の缶コーヒーを買う。あとは、とりあえずどんなものにでも対応できるよう、炭酸、ジュース、紅茶とメジャーなものを選んでみた。いざとなったら自分のコーヒーも取り替えてあげよう。まぁ、高校生がブラック無糖を飲めるかは、分からないが。
 缶を抱えて河原へと戻ると、三人は自分が描いた絵に群がっていた。
「すげー、綺麗だよな」
「あぁ。お店に売ってそうだよな。実はすごい有名な画家さんだったりして」
「マジー!!ならサインもらわなきゃな」
「代わりに、俺様のサインもプレゼントだっ。きっと2年後には1万、10年後には10万の価値がつくな!!」
「お前の未来予想図では10年後なにになってるんだ?」
「メジャーリーガーだっ!松坂も真っ青」
「和人はスリップ王子だもんなー。きっとあの試合の転んだ瞬間を激写した写真こそプレミアつくぞ」
「はははっ、それはもっともかもな」
「ひでーな、廉太も海斗もっ!!」
 自分はしがないサラリーマンなのだが。そう言おうか迷ったが、話は全然違う方向へ飛んでいた。三人とも、自分が初めて会ったときとは違った表情で、笑っている。
 特に、海斗と呼ばれている青年は初対面の印象とは全然違った。自分と似ている、なんてそんなことは全然ない。彼はあの二人の前ではちゃんと年相応の口調で、笑顔で、喋っているではないか。心配することなんてなかった。彼はちゃんと幸せな高校生活を歩んでいるはずだ。自分のような間違いを、してはいないのだ。
「あっ、絵描きさーん!!」
 ぼーっと三人の姿を見ていた自分に気がついた和人くんが、ぶんぶんと大きく手を振る。はっとして河原へと足早へ向かった。
「飲み物を買ってきたよ。どれがいいかい?」
「俺、ジュース!!」
 真っ先に右手を上げて主張した廉太くん。
「んーと、じゃあコーヒー」
 驚いたことに、次に和人くんがブラック無糖のコーヒーを選んだ。彼はあまりコーヒーに強そうには見えなかったが。好みはいろいろだ。
「じゃあ、紅茶もらいます」
 最後に遠慮がちに海斗くんが、紅茶をとった。なんと最後に残ったのは炭酸だった。学生時代はそれなりに飲んでいたが、最近は全く飲んだことがなかった炭酸。プルタブを開け、シュワッという音と共に香る爽やかな匂いが、なんとも懐かしかった。
「おじさんって、画家なんですかー?」
 皆、一口飲んで一息つけると、廉太くんが口を開いた。
「いや、僕はただのサラリーマンだよ。絵は・・・趣味で描いているんだ」
「えーっ!!こんなに上手いのに、絵描きさんじゃないんスか!?」
 答えに、和人くんをはじめ三人は驚きの声をもらす。それは、すごく光栄で嬉しいことだった。
「そう言ってくれて、嬉しいよ。けど、世の中にはもっと、もっと絵が上手い人がいるからね。到底敵わないよ」
「でも、本当に上手ですよ。絵画のことは分からないけれど、純粋に綺麗だ、って思います」
「俺、この河原大好きだ。ここでアイス食べるとすっごく美味しい。冬は肉まん食べるとすっごく美味しい。だから、この絵も好きだな」
「廉太、意味わかんないぞ」
 和人くん、廉太くん、海斗くん。彼らは純粋にこの絵を褒めてくれていた。まだ高校生だ。絵の良し悪しを知っている訳でもないだろう。でも単純に、自己の気持ちだけでそう言ってくれているのは確かだった。
ついさっきまでいま絵を描いている理由すら忘れていたが、この時自分はしっかり思い出した。
暇な休日。絵を描く理由。それはただ単純に、誰かに褒めてもらいたかったから。なんて、幼稚な理由だろうと我ながら思う。でも、忘れられなかったのだ。あの時、彼に褒めてもらってすごく嬉しかったこと。君の絵が好きだ、と。そう言われてモノクロだった学生生活に色がついた感覚を。
 無意識下で、自分はそのときの感覚を求めていたのだ。だから、休日にいちいち外に出て、絵を描いていた。それが、自分の真実。


 三人は飲み物を飲み干すと、再度感謝の言葉を述べて、帰っていった。日が落ち、月明かりに照らされて伸びる三つの影。自分は絵に描いたのと同じ角度からじっとその後姿を見つめていた。
「ありがとう」
 心からの感謝の気持ちは、もう三人の耳には届かないだろう。だが、分かっていても、そうつぶやかずにはいられなかった。



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